とらや カツ丼
こういう日もあるよなぁ、。
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どうにもイライラしやすい日だった。
いつもなら気にもとめずに飄々と流せることが、どうにも気に障って仕方ない。
まずは腹ごしらえである。
「食」は人を良くすると書く。
腹がいっぱいでは腹も立つまい。
ここは懐かしの"とらや"のかつ丼でいこう。ここは白飯がなくなり次第終了となる。早めの夕飯どきに滑り込めた。
昔ながらのそば屋のかつ丼である。
丼つゆの優しさとそれによりうきあがる醤油の風味。
カツの衣はたっぷり卵と汁を吸ってい、サクサク感などはない。
三つ葉ではなく、長ネギ。
香の物と味噌汁がつく。
そんなものである。
しかし金沢の名店「ぶんぷく」が暖簾を下ろした今、不思議な魔力によって私を引き寄せる「かつ丼」の1つである。
暖簾をくぐる。挨拶をし、注文をする。
待つ間はやはり携帯はカバンから出さず、下世話な古い週刊誌がいい。
何故なら
「ああ、腹が減った。」と頭はいっぱい、耳は己の注文の進捗をはかろうとそばだてている。
そんな時にメールの返信などせぬ方が良い。おざなりな対応になるに決まっている。
また、まともに文章など頭に入るわけもない。ついては下世話な古い週刊誌がうってつけになる。
下世話な古い週刊誌にも存在意義があるものだ。などとかんがえていればそのうちに運ばれてくる。
せっかく見出した下世話な古い週刊誌の存在意義などはすっかり忘れ去り、脇にのける。
とらやのかつ丼。
使い込まれた塗りのどんぶりはまるでビンテージのトランクのような、ラギッドなエイジング。
蓋もキチッとされており、その上に香の物の小皿がちょこんとのっている。
この小皿に趣きがあるのだ。
蓋の上の小皿をそろりと持ち上げ脇におく。
この儀式をもって、「丼・香の物・味噌汁」のトライアングルが完成するのである。
「蓋をキチッとしている」丼物はあまり見ない。
そもそも蓋がないか、蓋の意味をなさず具がはみでており、それが盛りの特徴の所が多いのではないか。
もちろん嫌いではないが、ビンテージ感もあいまって、とらやのかつ丼の蓋にはやはり趣きがある。
キチッと閉まった蓋は、揚げたてが少し冷めて気圧が下がり、吸盤のように吸い付いている事が多く、キレイに開けるにはコツがいる。
ネジ式のフタを開けるように「ひねり」を入れ、面を持ち上げるという感覚よりも、どこか一点から持ち上げるようにするとうまくいく。
蓋が開いたらそれがゴングである。
親の仇の如くアツアツをいただこう。
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